料理が好きだったので飲食店の面接に行きました。
すると、「キッチンスタッフは足りてるから、ホールスタッフなら」と。
若かった自分は、人にペコペコする仕事は嫌だと思っていました。
料理がしたいんだ、と。
それでも、友人に説得され、ホールスタッフで入ることにしました。
とある日、「料理が遅い!」と怒っているお父さんがいました。
ビールを飲んでいたので、無断でビールを一本持っていき、宥めました。
すると、「いろいろ言ってごめんね!また来るね!」と上機嫌で帰られました。
勝手にしたサービスは良くないとして、対応で変わるって面白い!と思いました。
その後も、お客さんとのやりとり、スタッフとの連携プレーが楽しくなりました。
その後、高校、大学と飲食店のホールスタッフのアルバイトばかりいろいろやりました。
「社員にならないか?」と誘われたこともありましたが、接客なんてアルバイトがする仕事。
そんな簡単な仕事で社員、一生の仕事にするなんて嫌だと思っていました。
もちろん、当時、映画監督になりたかったというのもありますが。
大学を卒業し、テレビドラマや映画の助監督になり、10年以上、働きました。
20代後半、仕事の合間で海外に行って、いろいろゆっくり考えたりもしました。
楽しかった思い出もあるのか、将来、自分で飲食店をやりたいとも思いました。
喫茶店とかバーとか。
映画監督をやってから、老後にですが。
イスラエル・パレスチナの紛争中にガザ地区に行き、レストランで笑顔で食事する人たちを見て、紛争中でも笑顔になれる飲食業っていいなと思ったのもこの頃です。
ロケハン(ロケーションハンティング:撮影の下見)でレストランに行った時、お店を見て、こういうのいいなあ、俺ならこうするなぁなどと考えながら見ていました。
やりたくて仕方なかった大好きな撮影の仕事、助監督をしていて、監督やカメラマンとロケハンに来ていて、飲食店目線で見ているということに、自分でも驚きました。
そして、考えた結果、その年いっぱいで助監督を辞めて、飲食の道に行くことにしました。
社員で数年働いて学んでから、自分のお店を持とうと思い、就職しました。
料理もお酒もこだわったいいお店でした。
ただ、先輩スタッフたちがオーナー不在時はやりたい放題。
あまりにひどかったので、7ヶ月で辞めました。
そして、地元の越谷、特に南越谷で物件探しを始めました。
同級生がシェフだったので、「どこでシェフを探せばいいの?」と聞いてみました。
すると「今の店を辞めようかと思ってるけど、一緒にやる?」との返答が。
どんな店で、どんな料理を作ってきたか、どんな店を創りたいかを話し合いました。
彼をシェフとして迎え、物件を見つけて、工事を開始。
2006年10月3日、パンゲアをオープンさせました。
ある同級生に言われました。「小学校の卒業アルバムに書いた夢を叶えたね!」と。
忘れていました。「お店を開く」と書いたことを。
子供の頃、時々、家で料理の手伝いをしていました。
何度か、自分が作った料理を家族に食べてもらうことがありました。
「美味しい!」と言ってもらえたことが嬉しかったのを覚えています。
人に喜んでもらうって嬉しい、幸せだと思ったんだとも思います。
そこで、自分でお店を持ちたいって思ったんですね。
単純です。でも、変わっていないんです。
喜んでもらうことが、自分の喜び。
映画の仕事も、飲食店も、ここから来ている。
根本は変わっていない。
パンゲアの誕生日、記念日に、振り返ることができました。
この19年間よりも、もっと昔の原点の振り返り。
オープンしてからは、試行錯誤。
良いことも悪いことも、いろいろなことがありました。
初心を忘れず、感謝を忘れず、20年目も精進したいと思います。
今後ともよろしくお願いします!
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